なぜ私たちはこの「水の村」で蒸留するのか?野沢温泉蒸留所、その「一滴」の正体

長野県、野沢温泉村。
古き良き湯治場の風情を現代に伝えるこの村は、冬になれば世界中からスキーヤーが集い、鮮やかな活気に包まれます。石畳の小道を歩けば、透き通った水流の音が心地よく響き渡り、至る所から立ち上る真っ白な湯気が。
そんな自然豊かな村に、2022年新たに誕生したのが野沢温泉蒸留所(Nozawa Onsen Distillery)です。
地域のボタニカルを贅沢に表現したジンは、世界最高峰の品評会「ワールド・ジン・アワード」で最高位の金賞を受賞。その圧倒的なクオリティは、日本のみならず世界のスピリッツファンを驚かせ、今やジャパニーズ・クラフトスピリッツの新星として揺るぎない評価を築いています。さらに現在は、待望のウイスキー蒸留も本格始動。その活動に熱い視線が注がれています。
連載第1回目となる今回は、立ち上げメンバーであり、蒸留所の魂を担う蒸留責任者、サム(ヨネダ・イサム)にインタビュー。なぜ、この村でなければならなかったのか。世界が認めた味わいの裏側に隠された、水、自然、そして彼の熱き思想に迫ります。
偶然と必然が交差。野沢温泉村で始まった新たな挑戦。

イギリス出身のサムが来日したのは2013年。茨城県で英語講師としてキャリアをスタートさせた彼の中に、ある強い思いが芽生えます。「大好きな日本で仕事を続けたい。そして、温かく迎えてくれた周囲の人々に、何か形にできるもので恩返しがしたい」。その手段として選んだのが、日本の「ものづくり」の世界でした。
その後、常陸野ネストビールで知られる木内酒造との縁があり入社。お酒造りは全くの初心者だったものの、ビールの樽洗浄から始まり、仕込み、そしてウイスキーの立ち上げチームへ。合計3カ所の蒸留所立ち上げに携わったサムさん。職人としての腕を磨きながらも、どこかで「お酒とのより深い繋がり」を求めるようになっていた時に舞い込んだのが、野沢温泉村での新しい挑戦でした。家族を連れて初めて村を訪れた際、サムはその環境に一瞬で心を奪われたといいます。

「村を歩いていると、どこにいても水の流れる音が聞こえてくるんです。川の近くにいるような、生き生きとしたフレッシュな音。それがものすごいインパクトでした。僕はずっと茨城の海辺に住んでいましたが、スコットランドを彷彿とさせる山の景色、そして溢れるような水の存在感に一瞬で魅了されました」
村の象徴である「麻釜」をはじめ、生活の動線の中に常に存在する水(温泉や湧き水)。村民が共同で野菜を洗い、料理に使い、そして温泉に浸かる。この「水と共に生きる」村の姿こそが、サムが求めていた「お酒と土地の繋がり」そのものでした。

「この環境なら、子供を育てるのにも最高だと思いました。そして何より、僕はこのインターナショナルなチームが気に入ったんです。日本、イギリス、イタリア、ドイツ……多様なバックグラウンドを持つ仲間と、新しいアイディアをシェアしながら酒を造る。ここなら僕の『インターナショナルなマインド』がぴったりハマると思ったんです」
豪雪とブナ林が醸成する生命のサイクル。50年の歳月が磨き上げる至高の「超軟水」

こうして、野沢温泉蒸留所に参画することとなったサムさん。彼が蒸留を行う上で、最も重要視したのが「水」の存在です。お酒の成分の大部分を占める水は、その土地のテロワールを映し出す鏡でもあります。
「長野県内には多くの素晴らしい蒸留所がありますが、野沢温泉村の水は非常にユニークです。一言で言えば、圧倒的な『超軟水』。これが私たちの酒質を決定づけています」

この「超軟水」を生み出しているのが、野沢温泉村が誇る圧倒的な豪雪と標高1,650mに広がる豊かなブナの原生林。冬の間に降り積もった大量の雪は、天然の貯水庫として山に蓄えられ、春の訪れとともにゆっくりと土壌へ浸透していきます。その水が、森の土壌という“天然のフィルター”を通り、実に50年もの歳月をかけて地中深くで磨き上げられ、清冽な湧き水となって再び地上へと現れるのです。
お酒造りにおいて「超軟水」は、蒸留後の「加水(割り水)」において、代えがたい恩恵をもたらします。

「製品の度数に調整するための加水。ここでこのピュアな湧き水を使うことで、私たちが心血を注いで蒸留した原酒の味や香りを、何ひとつ邪魔することなく引き立てることができるんです。口に含んだ瞬間のシルキーで滑らかな質感。これは野沢温泉の清らかな水があって初めて実現できる、私たちのシグネチャーと言えます」
ボタニカルに宿る「村の記憶」。野沢温泉村の空気を詰め込んだジンをつくるために

蒸留酒の中でも最も自由度の高いとされているジン。大きな制限がなく、様々な原料をつかえるからこそ、地域を表現することに長けたお酒だと言えます。サムは、この自由度の高いお酒を使って野沢温泉村の風景をボトルに閉じ込めようとしています。
「当初は野沢温泉のことを何も知りませんでした。だからお酒をつくるまえに、まず地元の村民スタッフと一緒に森へ入り、木々の枝に触れ、葉を擦り、文字通り『森の香りを嗅ぐ』ことから始めました」

自らの五感で野沢温泉村の魅力を確かめていったサム。様々な素材を用いて蒸留実験を行いながら「野沢温泉村を味わえる1本」を作り上げていきますが、その中には彼なりのこだわりがあります。
「村のシンボルである杉、クロモジ、カキドオシ、そして近隣のリンゴの木など、実際に自分たちが歩いて『これだ』と感じた素材を選び抜きました。一番大切なのは『バランス』。です。地元の名産品だからといって、味を損なうものを無理に使うことはしません。例えば野沢菜はまだジンとして納得できる使い道が見つかっていませんから、今は入れていません(笑)」

また、ベースとなるアルコール(ベーススピリッツ)にもこだわりが。
「私たちはライススピリッツ(米のアルコール)を使用しています。米は日本を象徴する原料ですし、何より非常にクリーン。湧き水と同じで、ボタニカルの繊細な香りを邪魔せず、美しく引き立ててくれるんです」

こうして生まれたのが、シグニチャーともいえる「NOZAWA GIN」と「CLASSIC DRY GIN」、「IWAI GIN」3つのジンです。
野沢温泉村の文化を蒸留する:道祖神祭りと「循環」の哲学

野沢温泉蒸留所のロゴが表現するのは水の循環であり、同時に「季節の循環」と「命の循環」の意味も含みます。この思想は単なる言葉ではなく、蒸留所の活動そのものに深く根ざしているのです。最も象徴的なのが、野沢温泉村で代々行われている「道祖神祭り」での取り組み。
「この村には、日本三大火祭りの一つである『道祖神祭り』があります。村の人々にとって、この祭りは1年の中心であり、魂そのものです。私たちはこの文化の中に溶け込みたいと考えました」

この祭りでは毎年、野沢温泉の厄年の男たちがブナ林の中から、道祖神の社殿に使われる御神木を選ぶところから始まり、釘を一本も使わず、伝統的な技法で高さ10メートル以上の巨大な社殿を組み上げます。そして、火祭り本番では“火の攻防戦”ともいえる激しい儀式が。
村人たちは、燃え盛る松明を手に、社殿に火をつけようと一斉に突撃。一方で、数え年で25歳と42歳の厄年の男性たちが松明を振り払いながら社殿を守るのです。激しい攻防が行われた後に和解の儀式が行われ、社殿に火が放たれると巨大な社殿が真っ赤な炎に包まれ祭りはクライマックスを迎えます。

この祭りで燃やされた社殿のブナの木をボタニカルに使用してつくられたのが、シーズナルで発売される「DOSO GIN」。祭りの熱狂が、ジンの中に生き続ける。本当の意味で『地域との繋がり』を感じられる、野沢温泉村らしい1本です。
「また、厄年の若者たちが25歳の時にウイスキーを樽詰めし、彼らが次の厄年を迎える42歳の時にその樽を開ける、というプロジェクトも動いています」と語るサム。お酒が村の歴史と共に熟成していく、そんな素敵な未来を描いています。
伝統と革新が入り混じる野沢温泉村。蒸留所が見据える確かな未来

世界的に高い評価を受けたジンに加え、ウイスキーの蒸留も本格始動した野沢温泉蒸留所。ウイスキーの蒸留過程で大切にしてることは、この村が体現する“新旧の共存”だとサムは話します。
「野沢温泉村は、深い伝統や歴史を明らかに残している日本でも貴重な場所です。一方で、若い世代の人々が新しいビジネスを始めるなど、古いものと新しいものが共存しています。うちのウイスキーも伝統的なつくりかたを尊敬する一方で、これまでジャパニーズウイスキーであまり取り入れられてこなかった『オングレイン』という製法を導入しているんです」
日本の蒸留所の多くが麦芽を綺麗に濾過した麦汁を蒸留する中で、あえて穀物の粒子を含んだまま蒸留する製法「オングレイン」。日本では極めて珍しいこの製法ですが、実際に出来上がった原酒は圧倒的なコクとモルトの力強い芳醇さが感じられたといいます。この柔軟な発想を持てる背景には、サムのキャリアの原点であるクラフトビール醸造の経験が。
「ビール造りでは、コーヒー豆やミカンなど、実に多様な原料を使い、どうすればその素材の良さを最大限に引き出せるかを常に考えます。ウイスキーやジンも同じです。枠に囚われすぎず、どうすれば一番美味しい『野沢温泉の味』になるか。その答えを日々探求しています」
将来的には、現在の活動が日本における“ニュースタンダード”となっていることを夢みているというサム。

「いつか、ウイスキーの歴史を記した百科事典のようなものが作られるとしたら、『かつて長野の小さな村に、伝統を塗り替えた面白い蒸留所があった』と、そこに私たちの名前が載っていたら最高ですね」と笑顔で話してくれました。
伝統を重んじながらも、既存の枠組みを軽やかに超えていく野沢温泉蒸留所の挑戦。それは、古くからの湯治文化を守りながら、新しい感性を受け入れてきた野沢温泉村そのものの姿と重なります。
サムが一瞬で心を奪われたという「水の流れる音」。
50年の歳月をかけて森が磨き上げた「超軟水」。
そして、村人たちの魂が燃え上がる「祭りの記憶」。
それらすべてが混ざり合い蒸留された1本は、この村が刻んできた長い歴史と、彼らが描く未来へのロマンが詰まっています。世界が認めたジンの香りの先に、そして熟成を深めるウイスキーの琥珀色の先に、どのような景色が待っているのか。
この地でしか生まれない「一滴」をぜひ味わってみてください。